大内氏館跡・築山館跡




概要:室町時代に山口を支配していた大名である大内氏の館跡。






種別:中世居館跡


時代:室町時代


所在地:山口市大殿大路


立地:龍福寺敷地内、八坂神社・築山神社敷地内


遺構:土塁


現状:発掘調査中


備考:
<大内氏館跡>
京都が南北朝の戦乱で荒れていた頃、大内氏は周防・長門の守護大名として栄えていた。大内氏館は、1360年頃に大内氏24代目弘世が館を大内御堀から山口に移して以来、滅亡するまでの200年の間、政治・経済・文化の中心となった。しかし、天文20年(1551)、重臣・陶隆房が謀反を起こし、大内氏31代目義隆は長門の大寧寺に逃れて自害、館は戦火により灰燼に帰した。その後の弘治3年(1557)、毛利隆元が大内義隆の菩提を弔うため、館跡に龍福寺を建立し、現在に至る。
1978年の龍福寺庫裡(くり)の改築に伴い、大内氏時代の庭園や建物の跡の発掘調査が行われている。

<築山館跡>
大内弘世の子・義弘は周防・長門・筑前の守護となり、大内氏館では手狭になってきた。これに対応するために築かれたのが築山館である。おもに来客をもてなすときに使われたが、後に歴代当主の居館となった。陶隆房の謀反時に大内氏館とともに焼け落ちてしまったが、その後、江戸時代末期に八坂神社の社殿がこの跡地に移築された。
敷地内にはこの八坂神社と築山神社があり、築山神社北西隅には土塁が残存している。また八坂神社境内には、盃状穴の刻まれた石板がある。