朝倉墳墓群




概要:天神山古墳と並ぶ山口盆地を代表する重要な遺跡。全部で42基が確認された。この墳墓群は最初に木棺墓が造られ、次いで箱式石棺、壷棺墓、周溝墓、石蓋土壙墓、最後に古墳が造られるという弥生時代の集団墓から古墳時代の個人墓への変化の過程を知ることができる。






種別:墳墓群


時代:弥生時代前期〜庄内期、古墳前期〜終末期(4世紀中〜7世紀初期)


所在地:山口市大字朝田高井


立地:山口盆地に向かって南東方向に並行して張り出した細長い広陵上


現在地:第I地区のみ所在地と同様


標高:40〜50m形式(木棺墓6基、箱式石棺墓13基、壷棺墓4基、周溝墓8基、石蓋土堅墓8基、横穴古墳1基、横穴式石室墳1基、)


現状:第I地区のみ公園化(他はバイパスやグランド工事建設により消滅)


出土遺物:鉄針、三又状鉄製品、滑石製小玉など(2号墳)
     鉄剣1つ、鉄斧1つ、鉄鎌1つ(3号墳)
     鉄族8つ、鉄斧1つ、鉄刀子1つ、三又状鉄製品1つ、須恵器杯蓋・杯身各7つ、高杯1つなど(後期の横穴墓)
     過去に盗掘にあっている模様。


備考:国道9号線バイパス建設の際に発見された。全体が6地区に分かれている。集団墓から特定個人墓、家族の墓へという変遷が見られることから、当時の日本における墳墓形態のほぼすべてをうかがうことができる。

「弥生コブシの花」:1982年11月、第11号貯蔵用土壙から茶色の皮をした種が出土した。鑑定した山口大学農学部の宇都宮宏講師は「もしかすると生きているのでは」と考え、その種を蒔いたところ発芽し、1992年には1輪が開花した。コブシの花が2000年の眠りから覚めて開花したという話題は世界中の植物学者やジャーナリストの知るところとなり、イギリス国営放送によって世界中に報道された。