春巡検


今年の春巡検は下関を訪れました。
1日目の行程
秋根古墳→仁馬山古墳→上ノ山古墳→下関考古博物館→綾羅木遺跡→梶栗浜遺跡
2日目
土井ヶ浜遺跡・人類学ミュージアム



以下、見て回った古墳・お世話になった博物館等の説明に入ります。

秋根古墳
時代:古墳時代後期(6世紀後半)
所在地:下関市秋根西町1-4-5秋根神社境内
立地:市街地から北へ約10km、山陰側の綾羅木川の河口から東へ約2km、瀬戸内海側の長府町から西へ約3kmの位置にある。

・第1号墳
形式:直径10m〜15mの円墳
内部主体:前室を持つ両袖の横穴式石室。石室の奧壁および側壁の奧寄りの部分には赤の顔料が塗られており、特に奧壁の下半分は残りが非常に良い。ベンガラの可能性が大きい。

・第2号墳
立地:遺跡の広がる台地の北西端にあり綾羅木川の流れる低地に臨んでいる。
形式:不明
内部主体:両袖式横穴式石室
遺物出土状況:石室内は荒らされているため、ほとんど原位置を動かされていると思われる。
出土遺物:水晶製切子玉・瑪瑙製勾玉・耳輪・帯金具・鉄地金銅張辻金具・ホ具・鉄製轡(くつわ)・鉄製兵庫鎖・鉄鏃・鉄釘・鉄製刀子・鉄製太刀
備考:石室の平面形が長方形から正方形に近いものへと変化するならば、2号墳は1号墳より新しいものということになる。
2号墳石室埋土中には近世の遺物は全く無く、龍泉窯系青磁椀が最も新しい。このことから中世頃にはすでに破壊されていたと思われる。
数個の住居址が見つかっている。

観音堂古墳
時代:古墳時代後期(6世紀後半)
所在地:下関市大字有富字下方
立地:綾羅木川北岸
形式:不明
内部主体:横穴式石室(幅2.4m、奥行き2.7m)
出土遺物:鉄斧・鉄鏃・鉄刀・槍鉋(やりがんな)・水晶製切子玉・算盤玉・瑪瑙製勾玉・碧玉製勾玉・ガラス製小玉
備考:出土した玉類は400点にのぼり、数・種類とも近隣の古墳出土例よりも豊富である。副葬品はそれぞれ石室の東壁沿いと西壁沿い、奧壁沿いの3カ所から集中して出土した。このことから3人の人物が壁際に葬られていたと推測される。
石室は周辺で採取された礫岩と呼ばれる岩石で築かれている。側壁は若干の丸みを帯びて張りだしており、特徴的な形態をしている。
現在は道路工事のため王喜傍示古墳公園(国道2号線沿いポケットパーク)に移築されている。

仁馬山古墳
時代:古墳時代中期(4〜5世紀初頭)
所在地:下関大字延行
立地:綾羅木川右岸の南緑部
形式:前方後円墳(全長約74.8m、前方部 長さ約28m、幅約23m、高さ約3m、後円部(3段構成)径約46m)
内部主体:後円部の中央には盗掘壙があるが、埋葬施設は不明。
出土遺物:2008年に県内で初めて木棺を粘土で包んだ「粘土槨」が出土し、韓式土器(百済土器)と見られる破片も見つかった。粘土槨は後円部墳頂で見つかり、長さ7.5m、幅1.8mで、割竹形木棺(推定長さ6.2m、外径96m)の周囲を覆う。
棺内を湿気などから保護する役目があり、表面には棒状のものでつき固めた跡が残る。こうした埋葬形式は、4〜5世紀に地域の首長クラスの古墳に採用され、近畿地方に多い。県内で確認されたのは初めてで、九州地方でも数例しかないという。
備考:下関市内では最大の前方後円墳。北側と南側に各1基ずつ陪塚(ばいちょう)と見られる2基の円墳がある。本格的な発掘調査は行われていない。平成3年5月15日に国指定の史跡になった。

上ノ山古墳(川北神社)
時代:古墳時代後期(6世紀前半)
所在地:下関市大字綾羅木上の山
立地:綾羅木川右岸の沖積低地の標高約15m
形式:前方後円墳(全長約108m)
内部主体:横穴式石室
出土遺物:六鈴鏡(ろくれいきょう)、鈴付釧(すずつきくしろ)、三輪玉、瑪瑙(宝石)・水晶の曲玉、水晶や碧玉製の管玉、ガラス製小玉、水晶の切小玉、鐙(あぶみ)、鉄鏃(てつぞく)などの武器(東京博物館所蔵)
備考:現在は川北神社が建っており現存しない。

下関考古博物館
所在地:下関市大字綾羅木字岡454
開館時間:9:30〜17:00 毎週月曜休館日
備考:下関市域を中心とした弥生・古墳時代の考古資料を展示している。体験コーナーやセミナーも充実している。屋外には竪穴住居の復元や移築した岩谷古墳などがあり、実際に中に入ることもできる。また裏は史跡公園となっており、若宮古墳や石棺を自由に見学できる。

綾羅木古墳
所在地:下関市綾羅木
時代:旧石器時代後期
形式:前方後円墳
出土遺物:斧形石器、ナイフ形石器等が発見されている。

綾羅木郷遺跡
所在地:下関市の西部、響灘に面する洪積台地上に立地する。台地の南には綾羅木川によって形成された沖積平野(綾羅木平野)が広がり、綾羅木平野の東端の台地上に秋根遺跡、平野の南側の台地上に伊倉遺跡が立地しており、綾羅木平野を囲む台地上ほとんどが、弥生時代以降の集落となる。
出土品:弥生土器や石製品、須恵器など
備考:綾羅木郷遺跡内で、縄文土器が一片も出土していない事や周辺においても縄文晩期の様相は未だ明確でないことなどから、綾羅木郷の集落を形成した人々が、外来の集団であろうことは想像に難くない。綾羅木郷遺跡内で「環濠」と認識される溝は、9条が確認されている。これらの溝は、一時的に1条のみが機能していた。

梶栗浜遺跡
時代:弥生時代前期
所在地:下関市梶栗町4丁目・5丁目
標高:約3.5m
立地:梶栗川河口の北側に延びる砂丘
形式:組合せ式箱式石棺9基、石囲墓2基、壺棺
出土遺物:多鈕細文鏡1面、細形銅剣4口、碧玉製管玉、弥生土器(壺・甕)
備考:遺跡は1913(大正2)年に長州鉄道(現在のJR山陽本線)の敷設工事中、箱式石棺から多鈕細文鏡(たちゅうさいもんきょう)1面が細形銅剣2口とともに出土した。昭和2年の現地調査によって、遺物の出土状態やこれが弥生時代に埋葬されたものであることが明らかにされた。昭和7年、10年にも細形銅剣が各1口ずつ発見された。海岸砂丘の墓地のうち、厚葬の風習をもち墓標も特殊である。多鈕細文鏡や銅剣の副葬は、綾羅木遺跡などの有力な集落の墓地であったことを示す。

土井ヶ浜遺跡
種別:埋葬跡
時代:弥生時代前期中葉〜中期末、後期末〜古墳時代前期、中世〜近世
所在地:下関市豊北町大字神田上土井ヶ浜
立地:土井ヶ浜西海岸に面する標高6m
出土遺物:弥生土器(壺・甕・鉢・高坏)、貝製腕輪・勾玉・翡翠製小玉・石斧など
備考:300体以上もの人骨が埋葬されていた埋葬跡。当時としてはまだ出土が珍しかった弥生時代の人骨が多数出土し、弥生人の顔かたちを推測する大きな手掛かりとなった。当遺跡で見つかった弥生人は「渡来系弥生人」と言われており、彼らは縄文人的特徴を持っていない。

土井ヶ浜遺跡・人類学ミュージアム
所在地:下関市豊北町大字神田891-8
備考:土井ヶ浜遺跡から出土された副葬品が展示されているほか、3Dで弥生人のルーツを探る映画を放送している。土井ヶ浜ドームでは約80体の人骨(模造品)とともに遺跡の発掘状況を忠実に再現している。