'13夏巡検(熊本県)


今年の夏巡検は熊本県を訪れました。
1日目
江田船山古墳→京塚古墳→虚空塚古墳→塚坊主古墳
→清水原石棺→菊水町歴史民俗資料館→石貫ナギノ古墳→石貫穴観音横穴

2日目
鍋田横穴群→山鹿市立博物館→オブサン古墳→チブサン古墳→熊本県立装飾古墳館

3日目
水前寺成趣園→熊本城→旧細川刑部邸



以下、見て回った古墳・お世話になった博物館等の説明に入ります。

江田船山古墳
時代:5世紀後半、6世紀初頭、6世紀前半
所在地:熊本県玉名郡和水町
立地:江田川が菊池川に合流する付近の南に広がる台地上
形式:前方後円墳
墳丘:全長46m(復原全長61m)、後円部直径26m、高さ7.9m、前方部幅23m、高さ6m
内部主体:横口式家形石棺
出土遺物:太刀14口、銅鏡6面、衝角付兜1個、横矧板鋲留式短甲(よこはぎいたびょうどめしきたんこう)1領、
     横矧板革綴式短甲(よこはぎいたかわとじしきたんこう)1領、金銅製冠帽1個、金銅製沓1足、轡2組など


塚坊主古墳
時代:古墳時代後期
所在地:熊本県和水町瀬川
立地:県域の北西部に位置し、西側に菊池川が流れている標高31mの丘陵上
形式:前方後円墳
内部主体:横穴式石室
出土遺物:銅鏡、金環、銀環、馬具、円筒埴輪、形象埴輪、須恵器、武器類
備考:全長約43mで左右非対称、周囲には溝が張り巡らされている。後円部南側
   に石室があり、前室、後室からなる複室構造である。後室部は長さ2.7m幅
   2.5mで、壁には赤や白、黒の顔料を用いて装飾が施されている。


石貫ナギノ古墳
時代:古墳時代後期
所在地:熊本県玉名市石(いし)貫(ぬき)字後田2386
立地:繋根木川右岸
遺構:横穴墓48基(うち、装飾横穴15基)
出土遺物:刀子、鉄鏃、釶(やりがんな)、玉など
備考:阿蘇溶結凝灰岩の崖面250メートルほどの範囲にわたって横穴墓が造られている。
   羨門(せんもん)の多くは2重、3重のアーチ形か隅丸の台形で、この部分に同心円・三角形・円形・菱形などの連続文様を線刻し、
   赤色顔料で彩色。内部には屋根形の浮き彫りや太刀のレリーフなど多様な装飾が施されているものもある。
   遺体を置く部分(屍床)が多いもので一つの横穴墓につき3ヶ所設けられている。大正10年3月3日、国指定文化財に指定された。


鍋田横穴群
時代:古墳時代末期(7世紀)
所在地:熊本県山鹿市鍋田
立地:菊池川と岩野川が合流している場所に位置
形式:群集墓
備考:60基の横穴墓であり、そのうちの16基が装飾横穴である。
   横穴の内部には、死床とよばれる死者を寝かせるベッドがつくられている。
   死床は、穴の奥に1つと左右に1つずつの合計3つのものが多い。
   奥の死床が丁寧につくられている場合が多く、奥の死床だけ家の形を表現した空間を造りだしているものもある。
   また、死床には、頭の形に掘りくぼめた枕がつくものもある。横穴の中外には、図像を浮き彫りにして、色をつけたものがある。
   図像は穴の内側より外側に多く描かれている。図像の種類には、人物や動物、武器などがある。特に27号横穴の図像が有名である。


山鹿市立博物館
公式HPは こちら


オブサン古墳
時代:6世紀後半(築造)、7世紀前半まで追葬がなされる。
所在地:熊本県山鹿市城字西福寺1786
形式:円墳
墳丘規模:直径:22m、高さ:5m(築造当時)
内部主体:複室構造の横穴式石室
     石室全長:8.5m(奥壁から羨門まで)
     前室:長さ2.1m、幅:2.7m
     後室:長さ・幅2.8m
     羨道:長さ2.6m、幅2.0m
     前庭部:長さ8m、幅4.5m
     突堤:長さ5.5m
周辺施設:U字型の周濠(直径22m、幅4m)、 葺石や埴輪は認められない
史跡指定:国指定史跡(平成11年1月28日)
備考
石室開口部にはハの字にやや開く前庭部を設けているが、墳丘内側だけでおさめるのでなく、
円形の墳丘から2つの矩形の突出部を張り出させることにより、間口4.5メートルで羨門まで奥行8メートルの前庭部を確保している。
南に開く横穴式石室は複室構造で、奥室には石材は残っていないが石屋形があったことが判明した。
石室の全長は、羨門から奥壁までで約8.5メートル、前庭部の8メートルを加えると16.5メートルとなる。
奥室屍床を画する仕切り石に赤彩の連続三角文が、奥壁にもかろうじて赤彩の小型の靭(うつぼ)もしくは盾が認められたが、
痕跡程度になり肉眼では判読できない。本来は奥室には装飾豊かな壁画が描かれていた可能性が高い。鉄地金銅張りの馬具等が出土している。
江戸時代以来、隣接するチブサン古墳の壁画図像からくる「乳房信仰」とともに、オブサン(うぶさん=産さん)古墳は「お産」の神様として信仰の対象となってきた。
西南戦争時に塹壕として使われたために石室内部や壁画の状態は悪い。


チブサン古墳
時代:古墳時代後期
所在地:熊本県山鹿市城字西福寺
立地:平小城台地の東、標高44mに立地
出土遺物:出土品は不明だが、石室工事の事前調査で須恵器、土師器(黒漆塗り、丹塗り)、円筒埴輪が出土。
備考:全長約45mの前方後円墳。横穴式石室の奥に石の屋形があり、その内石に赤、白、黒の3色で丸、三角、菱形などの図が描かれている。
   2つ並んだ円が女性の乳房に見えることから、「チブサン」とつけられたといわれる。このような文様のほかに石屋に向かって右側の壁に
   冠をのせた人物も描かれている。また、保存状態が非常に良好で日本の装飾古墳を代表する古墳のひとつである。


熊本県立装飾古墳館
公式HPは こちら


水前寺成趣園
公式HPは こちら


熊本城
公式HPは こちら